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ヤン・マサリクの愛した民謡集

その他の作曲家たち
01 /12 2018
プラハの春50周年に寄せる。一冊の楽譜が語るチェコの近代史。
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 1948年の3月10日、チェコスロヴァキアの外務大臣、ヤン・マサリクは不可解な死を遂げた。外務省の中庭で、パジャマを着た転落死体となって発見されたのである。
 当時のチェコスロヴァキアでは凶惨党が勢力を伸長し、初代大統領マサリクの息子で、親欧米派(母はアメリカ人)のヤン・マサリクは、孤立無援に陥っていた。父マサリクはレーニンの「最大の論敵」であり、息子ヤン・マサリクも戦前の自由と繁栄の象徴として信望があり、その存在はソビエトの許容し難いものであった。「事故死」という公式発表のあと、凶惨党政権下ではマサリク親子について語ることや、著作・肖像画の所持は一切が禁じられた。
 そして20年が経過した。1968年、「プラハの春」とともに一時的に検閲が緩められたとき、プラハの出版社は「ヤン・マサリクの愛した民謡集」を出版した。マサリクそのものについて語ることはまだ禁忌であったが、当時の政権は民謡を「民族的文化」として許容したので、それを隠れ蓑としたものである。扉にはヤン・マサリクの肖像画が大きく刷られた。そして収録された民謡の歌詞には、口にすることの出来ない真相の暗示と抗議が込められていたのである。その最終曲の歌詞は次のようなものであった。
Umrem, Umrem, ale neviem kody
私は死ぬ、だけどいつかは分からない。
A keď umrem, kedy, A keď umrem, ležať budem,
そして死んで横たわったとき、
hop, cup, tralala, tak to si ja spievať budem, hop, hop, tralala!
それでも私は歌っていよう、トララララ!
A keď umrem, potom ležať budem
そして死んで横たわっても
a tu ja si ešte spievať budem
私はそれでも歌っているだろう。
Hej, keď umrem, ležať budem, hop, hop, tralalala!
死んでそこに横たわっても、
takto si ja spievať budem, hop, hop, tralala!
こうして私は歌うだろう、トララララ!

「プラハの春」がワルシャワ条約機構軍によって圧殺された後、マサリク親子について語ることも、この楽譜の所持も禁止された。家庭や古書店の奥深くに秘蔵された楽譜は、ベルリンの壁崩壊後に国外に流出した。私が手に入れた一冊はいま桐朋学園の図書館に所蔵されている。

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