ボランティア活動に参加してきました。

コンデジ(Olympus & Sigma)と日記
10 /28 2011
10月25-27日にかけて南三陸町のボランティア活動に参加してきました。

参加内容;
千葉中央バス(京成グループ)主催によるボランティアツアー
「宮城県災害復興支援 絆メイト 南三陸町」(10月25-27日)

参加人数 37名 + 運転手2名・添乗員2名

日程:
25日23:00 京成千葉駅前発
26日07:00 南三陸ボランティアセンター(VC)に到着、各自朝食・着替。
  08:00 VC開場、申請して待機。
  09:20 現地到着・作業開始
  15:00 作業終了
16:30 現地を出てホテル(松島大観荘)に向かう。
18:00 ホテル着
27日松島観光、昼食ののち帰路。
19:30 京成千葉駅前発

作業内容;
志津川湾の一漁港で、ワカメ養殖用のイカダのオモリ(土嚢)を作る。場所は南三陸町からバスで15分ほど。

漁師さんの指導のもと、土嚢に砂利をスコップですくって約60kgまで詰め、口をロープで固縛して引き渡す。毎年約100個の土嚢を作っているというが、津波によりイカダが全滅したので、約一万個の土嚢が必要とのことだった。この日作った土嚢は約850個、5トン分。一回約5kgの砂利を繰り返し土嚢に封入する、肉体的にはかなり過酷な作業で、肩や腰を痛めた参加者も多かった。土嚢の固縛には一定のコツが必要だったが、漁師は親切に指導してくれた。また南三陸町のボランティア職員一人が終始アテンドしたので、安心して作業に専念できた。そして20代から70代にわたる参加者全員が作業を完遂した。

作業場所;
バースは地震で約1m陥没し、常に波で洗われている状態。停泊地として現状は使用不能と思われる。この漁港の周りの民家も土台のみが残っている。

漁港への往復の際に南三陸町の中心部を通過した。報道されているように、南三陸町は完全に壊滅して民家は土台を残すのみ、鉄筋の建物も外壁のみが残り内部は全滅している。瓦礫の片付けは進んだが、いまだにビルの屋上に流された自動車が乗り上げ、潰れた車や漁船が点在しているという状況。町の再建は長年月を要すると思われる。映像や写真で見るのとは違う恐ろしさを全身で感じた。

災害前の南三陸町;
Town-bef_tsunami.jpg

災害後:
town-after_Tsunami.jpg

現地の状況は好転したわけではなく、ガレキ撤去という第一段階の後半がようやく見えてきただけ。冬を前に、一層のボランティア活動が必要と思う。

考察;
ボランティアは個人・団体を問わず全員がVCに申請して作業の割り振りを受ける。作業内容・場所は当日まで分からない。そのため現地を移動できる交通手段と当日の宿舎を確保しておかねばならない。 また使用可能なトイレ、休憩場所、万一の際の避難場所等を把握しておくことも必要。 そのため独自に少人数で参加するよりも、既存のルート(長期活動しているボランティア団体や観光会社のツアー)を活用して団体で参加するのが現実的と思う。

日没が早くなっており、気温も下がっているので今後は十分な防寒着の準備が必要。

その他;
今回はバケツ(15L)7個を持参して寄贈した。これら物資援助については、現地のVCが要望をHPに掲載し、その要望に対して応じるメールを出し、返信メールを確認してから送る、という手続きが必要。とにかく個人的な行動は慎み、集団で機能的に行動して現地に負担をかけないようにすること。

南三陸ボランティアセンター

追記:
VCの前に民主党議員がおり、秘書に作業をさせて自分はビラ配りをしていたそうである。いかにも民主党らしい、ハエ以下の衛生害虫と言えよう。

ISATT

愛好する歌曲・カンタータの試訳集です。