「ラヴェル―その素顔と音楽論」 

モーリス・ラヴェル (1875-1937)
07 /28 2009
ラヴェルをめぐる人々の回想録を読んでいる。とくにラヴェルに師事した指揮者マニュエル・ロザンタール(1904-2003)による回想は、その人柄を生き生きと浮び上がらせてくれる。1926年頃のエピソードをちょっと長くなるが引用しよう。ロザンタールも先年、ペルルミュテルと前後して亡くなった。

教職の経験のある人なら、ラヴェルがいかに誠実な教師だったか身に沁みて感じ取ると思う。そして、ラヴェルの完璧な技巧が、職人としての誇り高いプロ意識に貫かれていたことも。ラヴェルの自筆譜はどれも印刷譜のように流麗に書かれているが、その陰には数多くの「暖炉の灰」があったということを、この本で知った。

-------
「ラヴェル―その素顔と音楽論」 
マニュエル・ロザンタール著 伊藤制子訳 春秋社 1998年 p.40-43

「ラヴェルは助言を求めにきた者にも、絶対に譲歩はしない。厳しい分だけ公平だったが、それは、彼が創造的な仕事にある厳しさを感じていたからだろう。

彼はつねに自分の流儀で私にレッスンをしており、情け容赦のないこともよくあった。あるときわたしはジャン・ユレからニ声フーガの課題をもらった(こういう課題はとても難しい)。わたしはニ、三の規則違反をしてもいいから、自分の音楽性を十分に発揮して書くべきだと考えたのだ。ユレはいくつかの間違いを見つけたが、音楽的なフーガだと評価してくれたのである。
 これを聞いたラヴェルは、ユレに対して(もちろん私へも)怒りを爆発させてしまった(中略)... ラヴェルはこう叫んだ。「音楽的だなどという口実で、勝手なことをしてはいけないよ。」そこで、こちらの顔をまじまじと見ながら、課題をご丁寧にも小さく破り、暖炉へ投げ込んでしまった..

ラヴェルからは、しょっちゅうこんなふうに怒られた。彼には寄宿舎の監視人のような厳しさがあり、まるで悪意からそんなことをしているようにさえ思えた。ある日、とうとう私も堪忍袋の緒が切れてしまった。扉を乱暴に開けて飛び出し、教会の広場まで走った。そこは、モンフォール駅に行くため、いつも馬車に乗る場所である。そこにいた馬車は、出発の時間を待っていた。いったん座ったものの、乗っているのは私だけ...。わたしは体中から涙をふりしぼって、泣き出してしまった...

雨が激しく降り出したが、突然、馬車の曇ったガラス越しに、人影がこちらに走ってくるのが目に入った。私は、どうやって馬車に乗るのかがわからない旅人が来るのだと思い、彼を待って扉を開けた。すると外には、ラヴェルが立っていたのである。帽子もかぶらず、コートも着ないで、じっとしままま、ずぶ濡れになっていた。そして、こう言った。「どうしたんだい。先生にさよならも言わずに、出ていってしまうつもりかい?」この場面を想像していただきたい。私は、わっと泣き崩れ、そしてすべて解決した。

ラヴェルの家の暖炉には、ところどころ燃えた私のフーガばかりか、彼自身の作品もかなりあった...」

P7180004_512.jpg

ISATT

愛好する歌曲・カンタータの試訳集です。