藤原為家 - あさぼらけ あらしのやまは

コンデジ(Olympus & Sigma)と日記
10 /29 2008
新古今時代の代表的な歌人、藤原定家と藤原家隆の家系は、次の世代でくっきりと明暗を分けた。一言で言えば前者の子(為家)は栄達し、後者(隆祐)は没落した。この藤原為家(1198-125)は父とは正反対のタイプの好男子だったようだ。文武両道で人柄もよく、上下の信望を集め、実務の才もあるという万能型で、その官位の昇進も、父定家が驚嘆するほど早かった。27歳で蔵人頭(これは屈指の出世ポスト)、翌年には参議(定家より24歳も早い)というから、大臣家の公達と互角の栄進ぶりだ。その歌風は、いい意味での旦那芸と言おうか、品のある鷹揚な言葉運びが好ましい。そして特筆したいのは、歌に漂う不思議な浮遊感。対象を描くのに、地上から眺めているだけでなく、宙に浮きながら俯瞰しているような広がりがある。秋歌のなかから、印象的な歌をいくつか挙げよう。
 
雲雁未来秋きても色こそみえね雁がねの聞こえぬさきの雲の通い路(為家集702)
 
秋雲の描写。秋が来たという気配は見えず、雁の鳴く声もまだ聞こえないが、その秋と雁を運んでくる通い路を思わせる雲が、この空には広がっている。一足早い秋の到来が、秋の雲に見える。
 
弘長元年院百首、
霧あさぼらけ嵐の山は峯晴れてふもとをくだる秋の川霧(為家集708)
 
「嵐の山」は、文字とおり「嵐の吹いた山」と、為家の別荘があった嵯峨の「嵐山」を掛ける。夜に吹き荒れた嵐は、朝になると止み、雨をもたらした朝霧が稜線をつたって漂い下っていき、秋の山が美しい姿をあらわす。続拾遺入撰。
 
私が一番愛好する為家の秋歌は、次の一首。「秋の別れ」は過去のものとなった恋と、晩秋の澄んだ空を二重写しにしているのだろうか。雲の果てまで届くような、張りつめた心で人を慕っても、うつろう人の気持ちは止めることができない。遥かな空の雲の流れのように。
 
とまらじな雲のはたてにしたふとも天つ空なる秋の別れは(763)
 
本歌:「夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつそらなる人を恋ふとて」(古今集)
スポンサーサイト

ISATT

愛好する歌曲・カンタータの試訳集です。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。