花園院 - つばめなく のきばのゆうひ

コンデジ(Olympus & Sigma)と日記
05 /31 2008
季節が一巡するごとに「風雅集」を読むことにしている。これは二十一代集のなかでも数少ない親撰の和歌集で、何度読んでもその静謐な美にうたれる。その歌境にはあまりにも大きな悲しみをうけて、この世での幸福を諦めたひとの澄明な心を感じる。撰者の花園院、光厳院はともに鎌倉末期の戦乱の中で死地をくぐり、流転の果てに護衛の武士たちの全滅を目の当たりにした人だった。



釈教歌という、現代では省みられることの少ないジャンルにも佳詠がみられるのは、彼らの動乱のなかでの直接の体験が反映されている故だろうか。救いを求める心と諦念、逆境のなかですら自己の芸術を完結させようとする意思の力、そして後世に希望を託そうとする心。そうした揺り動く心境を吐露した歌は、感銘をよぶ響きがある。

とくに花園院(1297-1348) の歌には、独自の境地に達した絶唱がすくなくない。心を反映した光、寂しさや希望を映し出す光の歌とでも言おうか。

つばめ鳴く軒端の夕日かげ消えて柳に青き庭の春風
(風雅集 釈教2046)

これは初夏の情景、詞書には典拠とした仏典が明示されているが、季歌としても秀逸な歌に思われる。つばめが巣をつくった軒端に夕陽の光が差す。その光が消えていくとき、春風が吹き渡って柳の葉をゆらしていった、という。「柳に青き」というきわめて印象的な表現は、柳の新緑が靡くとき、春風が緑に染まるように輝くということと解した。つばめの巣から聞こえてくる雛の賑やかな声、そのつばめたちの姿を写し出した光が消えたとき、庭を吹き渡った清らかな初夏の風。それらは生まれてくる命の光のようだ。



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