北条重時 - またさけば ちるてふことも

03 /31 2007
鎌倉幕府の歴史をみていると、その殺伐さに目を見張る。初代将軍の源頼朝はふたりの弟を死においやり、頼朝のふたりの男子はともに暗殺された。また北条氏の代々の執権のもとで繰り返された数多くの政争と権力闘争は、多くの場合誅殺と族滅で決着した。それでいて鎌倉幕府は滅亡に至るまで統制の取れた、有能な政治集団であった。


さて、藤原定家の独撰した「新勅撰集」は、承久の乱の後に編まれたため、敗北した後鳥羽上皇たちの歌を外し、一方で鎌倉方の武家歌人の歌を多く入れたことから「八十氏川集」と揶揄されたという。(これは周知の人麿の古歌「もののふのやそ宇治川の・・」による)。その歌人のひとり、北条重時(1198-1261、政村の兄)の歌を。

こがれゆく思ひを消たぬ涙河いかなる波の袖濡らすらむ
(新勅撰集 恋歌701)

としごとに見つつ古木の桜花わが世のあとは誰か惜しまむ
(同雑歌1048)

こうした王朝和歌を思わせる温雅な歌から一転して、鎌倉で編まれた私歌集(「東撰和歌六帖」)には彼の猛々しい歌を収める。それは勇猛な鎌倉武士、重時の本領であろう。


をしまれぬかひなき世なりけり桜花あだに散りぬる年の経ぬれば

北条政村 (東撰和歌六帖 春歌241)

また咲けば散るてふことも憂かるべし花の枝折れ春の山風
北条重時(同 242)
「また咲いたら散ることは嫌だろう、春の山風よ、花の枝を折ってやれ。」

まるで戦場の下知のような、一刀両断の歌。朝廷の歌人たちは、こうした鎌倉の武者歌人たちの歌に慄然としただろう。

こうした世情も中世の和歌集は反映している。とくに名歌というわけではないが、歴史の興味深い一面として掲げた。

*この項は外村展子さんの名著「鎌倉の歌人」に拠っています。



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