源通光 - むさしのや ゆけどもあきの

コンデジ(Olympus & Sigma)と日記
10 /30 2006
武蔵野やゆけども秋のはてぞなき いかなる風か末に吹くらん
源通光(新古今378)

「武蔵野よ、行けども秋の景色の果てるところはない、どのような風が野末に吹いているのだろう」




村上源氏、源通光(みちてる 1187-1248)の作。

歌枕としての武蔵野は、遮るもののない広大な野原に紫草が咲き、夜には清流の流れる村に砧の音が響くといった、美的空想の世界だった。ただ古代にも実際に訪れた者は数多くいたわけで、「更級日記」の作者は幼い頃に国司の父に連れられて歩き、はなはだ散文的な記録を残している。しかしその後も、武蔵野の広大さと風情をうたう歌は作られ続けた。

作者は歌のなかで武蔵野の果てを見るために歩き続け、どこまでも秋の光景が続く草迷宮に迷い込んでいる。風が吹いて、作者の目にしている一面の野の草々が靡くが、その風は野の端ではどれほどの強さで吹いていることだろうと歌う。それは現実の光景と空想とのきわどい一線。作者は歌のなかで永久にこの秋の野をさ迷い続ける。




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