小休止

06 /08 2015
仕事がやや忙しくなってきて小休止中です。それにしても、時々頂く「拍手」やコメントは嬉しいものですね。最近のではなくて、過去の記事に頂くのが多いのは何故だろう?今より力を入れて書いていたのかも。

ロドリーゴ歌曲全集、お勧めです。全曲の歌詞と簡潔な解説がCD-ROMで付属。残念ながら対訳はありませんが。

東京一の鰻屋?

01 /07 2009
鰻を食べに、予約を入れてふたりで調布まで。その店があまりに強い印象を残したので、書いておこうと思う。調布のマンションの一階。探し出したその店は、外見からは閉店したブティックを思わせる。中に入ると、薄暗いカウンター(8席)の周囲に人がいる。二人組の女性客と、店主とウエイターがひとり。厨房のガス火と炭火に照らし出されて。BGMのロックがなんとも不調和な空間。分厚く巨大な一枚板のカウンター越しに、店主をまじまじと観察した。体型・風貌ともに初めて目にする、異形の方だった。連想したのは、黒澤明の映画「隠し砦の三悪人」で、藤原釜足が演じた野武士を若返らせたような。(ものすごく古いたとえだが)「ものすごく時間がかかりますが」と店主は挨拶。かん高く、かすれているような不思議な声。無愛想というよりも、無駄なことは口にしないという印象。カウンターは炭の熱気が顔に当たって、熱いというより痛い。その向こうの古風で重厚な釜と蒸籠では、大火力のガスで蒸気がもうもうと吹き上がっている。カウンターに面した炭炉で鰻を焼く。昼間のメニューは2つのみ。白焼き丼と蒲焼丼。(単品もある)ひとつずつ注文。どちらも三千円弱。カウンター越しに、鰻の裂き、串入れ、蒸し、焼きと一部始終を観察。熟練の手さばきであった。店主は決して並行作業をしない(例えば鰻を裂いている間に蒸すとか)。しかし厨房は炭とガス火で非常に暑いから、長く立っているのは不可能だろう。先客が少なかったので、待つこと30分ほどで料理が供された。その鰻たるや、辛目のタレがなじみ、大火力の蒸籠でふっくらと蒸し上がり、素晴らしい味。築地のいろいろな鰻屋で鰻を食べてきたけれど、正直これほどの味ははじめてで、夢中で食した。葱をまぶした白焼きよりも、正攻法の鰻丼のほうが断然美味い。不思議な空間で、ひどく美味しいものを食べた、という印象。「食べログ」では東京一の鰻屋となっている。

初御籤

01 /05 2009
大国魂神社にて。末吉也。実に大ざっぱな御籤である。「商売・・得にもならず損にもならぬでしょう」と言われても。(笑) いかならむ事にあひてもたわまぬはわがしきしまの 大和たましひ「どんなつらい事にあおうとも、挫けないのが日本人の心である」豪快な歌と解釈である。男塾!?

「詩と歌曲」の新ジャンル

01 /03 2009
「詩と歌曲」の新ジャンルを立てて、以前連載した2つの連作歌曲の記事を収録しました。楽曲ファイルをWindows Skydriveに移したので、アクセス速度が改善されて快適になったと思います。リンクの切れていたYouTubeの映像(レジーヌ・クレスパンの名唱!)も修復しました。この記事は書いていて非常に楽しかったので、いつか新しい題材で再開したいと思っています。

三度目の大晦日

12 /30 2008
このBlogも、思いがけず三度目の大晦日を迎えることになりました。稚拙ながらも書き続けた今、念願しているのは、万葉集にのみ人間の真情の輝きがあり、古今・新古今をはじめとする二十一代集や数多くの家集は、貴族の知的な玩弄物・類似した歌の退屈な集まりにすぎないという思い込みを見直したいということです。古典和歌のなかには、永遠に新しい、素晴らしい詩歌の世界があるのだということ、動乱の世、困難な時代にも真剣な芸術への努力が続けられていたということを発見しつつ、書き続けてきました。人の真情も、自然の美への賛美と嘆賞も、ことばを慈しむ心も、新しい芸術を創造しようとする衝動もそのなかには見出すことができます。最近になって、ようやく塚本邦雄氏の引力圏外に出られたように思います。虚心にテキストに向き合ってその声に耳傾けてみたいと念願します。門外漢ゆえ、無知による誤読、恣意的に過ぎる読みも多々あると思います。気が付かれた点はご指摘頂ければ幸いです。それでは皆様、よいお年をお迎えください。
 
平成20年12月30日

ISATT

愛好する歌曲・カンタータの試訳集です。