イルデブランド・ピツェッティ 「3つのペトラルカのソネット」より

イルデブランド・ピツェッティ(1880-1968)
10 /09 2016
イタリアの近代歌曲の大作曲家、イルデブランド・ピツェッティ(1880-1968)が残した「3つのペトラルカのソネット」。これはピツェッティが亡妻マーリアに捧げた曲だという。亡くなった妻の思い出を、現世では結ばれることの無かったペトラルカ(1304-74)のラウラとの思い出に重ねながら、14世紀の古詩を現代に蘇らせたこの響き。対訳を寄せて下さった二期会の名バスバリトン、畠山茂さんに感謝。



「ペトラルカの3つのソネット」より
Canzoniere CCCXI
カンツォニエーレ 311
Quel rosignuol, che sì soave piagne,
あのナイチンゲールがあんなに甘く泣くのは
forse suoi figli, o sua cara consorte,
きっとその子らの、あるいは愛しの妻のため。
di dolcezza empie il cielo e le campagne
優しさで天を充たし、また野をも充たすのは
con tante note sì pietose e scorte;
その慈悲深く軽やかな調べの数々で。
e tutta notte par che m'accompagne,
夜を通じて、あたかも私に寄り添い来ては
e mi rammente la mia dura sorte:
私に我が辛き運命を思い出させて。
ch'altri che me non ho di cui mi lagne,
我が身の他に嘆く相手はいない、と。まさか
ché 'n dee non credev'io regnasse Morte.
女神にも死神の王権が及ぶなんて。
O che lieve è ingannar chi s'assecura!
たやすいものだ、自信ある者を裏切ること!
Que' duo bei lumi assai più che 'l sol chiari
双の、綺麗な、陽よりずっと明るい光が、
chi pensò mai veder far terra oscura?
誰が思った、暗い土塊の形になると。
Or conosch'io che mia fera ventura
今こそわかるのだ、我が厳しきさだめの意図、
vuol che vivendo e lagrimando impari
生きつつ涙しつつこれを学べ、との意図が。
come nulla qua giù diletta e dura.
この地上ではどんな喜びも続かない、と。
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ピツェッティ 歌曲「牧童たち」

イルデブランド・ピツェッティ(1880-1968)
01 /29 2011


I pastori「牧童たち」

原詩 ガブリエーレ・ダヌンツィオ
作曲 イルデブランド・ピツェッティ、1908年・28歳

Settembre, andiamo. É tempo di migrare.
九月だ、私たちは行こう、移動の時だ。
Ora in terra d'Abruzzi i miei pastori
今アブルッツォの地では、私の牧童たちが
Lascian gli stazzi e vanno verso il mare:
羊小屋を出て、海に向かい
Scendono all'Adriatico selvaggio
降りていく、未開のアドリア海へ
Che verde è come i pascoli dei monti.
山地の牧草のような緑色の海へと。

andiamo (andare「行く」一・複)、miei「私の」男性複数、lascian (lasciare「残す」三・複)、stazzo家畜用の柵、小屋、vanno(andare「行く」三・複)、selvaggio未開の、原始の、pascolo牧草地、牧草、che=that

Han bevuto profondamente ai fonti
彼らがたっぷりと飲んだ泉
Alpestri, che sapor d'acqua natìa
アルプスの故郷の水の味は
Rimanga nei cuori esuli a conforto,
遠く離れた者の心に、慰めとして残り
Che lungo illuda la lor sete in via.
道中の喉の渇きをしばらく忘れさせる。
Rinnovato hanno verga d'avellano.
彼らはハシバミの枝の鞭を取り替えた。

han→ha「avere(=have) 三・複」+ bevuto「bere飲む」の過去分詞→半過去,font泉、sapore味、natio故郷、出生地、nei..in+i、cuore心臓・心、esule亡命者、conforto慰め、lungo=long、illuda(illudere「惑わす、錯覚させる」三・単) 、sete喉の乾き・渇望、via道、rinnovato(rinnnovare「更新する」の過去分詞+hanno(avere三・複)→半過去,verga鞭、avellanoハシバミの木

E vanno pel tratturo antico al piano,
彼らは平地へ向かう古いけもの道を下る、
Quasi per un erbal fiume silente,
それは静かな草の流れのようだ、
Su le vestigia degli antichi padri.
彼らは父祖の足跡を踏んで行く。
O voce di colui che primamente
おお声がする、初めて
Conosce il tremolar della marina!
海のざわめきを知った者の!

vanno(「andare」行く、三・複)、pel=per+i、 tratturo「家畜の群れの移動で自然に出来た山道。アプルッチォ、プッリァ、カラーブリア地方などに見られる」(伊和中辞典)、erbal草、fiume川、vestigio足跡・名残、degli=di+gli、padri父祖たち、primamente→primo、conosce(「conoscere知っている」三・単)

Ora lungh'esso il litoral cammina
今、海岸に沿って歩むのは
La greggia. Senza mutamento è l'aria.
羊の群れ。そよともしない大気。
Il sole imbionda sì la viva lana
太陽は羊たちの毛を輝く金色に染める
Che quasi dalla sabbia non divaria.
砂浜と見分けができないほどに。
Isciacquìo, calpestìo, dolci romori.
潮騒の音、足音、優しい音。

Ah perchè non son io co' miei pastori?
ああ、なぜ私はわが牧童たちと共にいないのだろう?

ora今、lungh'esso~に沿って、~のそばに、litorale海岸の、cammina(「camminare歩く」三・単)、greggia羊の群れ, senza~無しで、mutamento変化、変遷、imbionda「imbiondire金色にする」三・単)、lana羊毛、sabbia砂、砂浜、calpestìo踏み鳴らす音、romore物音

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イタリア20世紀最大の作曲家、イルデブランド・ピツェッティ(1880-1968)の声楽作品を初めて聴いた。高貴で静かな感動が伝わってくる。族長のように多くの牧童を引き連れて、夏の終わりに羊の群れとともにアルプスの山々から降りて来る語り手、初めて海を知った者のおののきと魂の震え、太古から変わることのない海の匂いと響き...

冒頭のピアノの旋法によるオクターブは、牧童たちの歌を描いているのだろうか、なんというイメージの喚起力・・・古代から連綿と続いてきた情景が目前に広がり、彼らの足音と太陽の光、草の流れ、そして彼方の潮騒の音まで響いてくる。しかし、それは作者の回想であることが最終行で明かされる。生まれ育った故郷を遠く離れ(migrate)、 亡命者(esule)として生きる姿と牧童たちの旅が二重写しとなっている。

ピツェッティの作品は録音を入手することさえ困難だが、こんなに素晴らしい歌曲がなぜ知られていないのだろうか? 旋法を使いながら、この伸びやかで美しい旋律、曲に漂う気品は、ドビュッシー、ラヴェルといったフランスの天才たちにも伍する出来栄えだと思う。もっと多くの作品を知ってみたい。

ISATT

愛好する歌曲・カンタータの試訳集です。

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