シマノフスキ 「クルピェ地方の歌」♪

カロル・シマノフスキ(1882-1937)
03 /21 2010
シマノフスキ最後の歌曲集は、ポーランドの民謡による「クルピェ地方の歌」op. 58 (1930-32年)で、48歳から50歳にかけて作曲された。かつての天かける幻想と重厚華麗な作風は姿を消して、原民謡そのままの非常に簡潔な作品。こんなにも変わってしまうものか。

最後に故郷に還ってきたシマノフスキ、と感傷的な印象を綴る論者もいるようだが、実はポーランドはシマノフスキの生まれ故郷ではない。生地ティモシェフスカは現ウクライナで、ロシア革命で生家は破壊され、家作も失った。彼はワルシャワ音楽院の院長まで勤めながら、ついにワルシャワに定住しなかった。

1937年没、55歳という生涯は、シマノフスキには短かったのかもしれない。彼が早すぎる晩年に健康に恵まれていたら、さらに数々の傑作を残していただろう。そして、第二次大戦による祖国の破滅をくぐり抜けることが出来たならば、さらに豊かなポーランド音楽の遺産を残してくれただろう。(彼の手稿のいくつかは、ワルシャワ蜂起による戦火で消失した)。


「クルピェ地方の歌」op. 58
第3曲「気をつけて、お母さん」Uwoz, mamo 

Uwoz, mamo, roz,
気をつけて、お母さん、
komu córke dos,
誰に娘をやるか。
nie doj ze ji
男にやってはいけないよ
za lada jakigo
つまらない奴に
jej urody zol.
美しい娘を。

Bo jej uroda,
なぜなら、あの娘の美しさは
jak bystra voda,
水の急流のよう、
prawe licko
清らかな頬は
jej sie zrnienniło
赤くなった
jek pólno róza.
野バラのように。

Bo pólno róza
野バラは
roz do roku kście,
年に一度花を咲かせるが
cianskoć temu
重苦しいのは、
syrcozí u mojemu,
私の心。
chto kogo nie chce.
あの男を好きになれないから。

A chto kogo chce,
そして私の好きな人は
na stronie stoj,
遠くにいる。
skorz go, Boze
罰を与えて、神さま
ach mój Mocny Boze
ああ、私の神さま、
chto na mnie nastoi.
私をものにしようとする男を。


* * *

シマノフスキの項を終わる。
この項は全面的に「シマノフスキ 人と作品」(日本シマノフスキ協会編、春秋社)に拠りました。
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シマノフスキ 「ハーフィズの愛の歌」♪

カロル・シマノフスキ(1882-1937)
03 /21 2010
シマノフスキの年譜をみていると、作曲活動のひとつのピークが1914-15年頃にやってくる。

1908年から14年にかけて、イタリア各地からシチリア島、さらにはアルジェリアとイスタンブールにかけて旅したシマノススキは、ギリシャ神話と東洋のテーマに取材した作品を次々に作曲した。シマノフスキ持ち前の北方的な幻想と重い響きに加えて、地中海地方の風光と強い太陽の熱気が、曲のなかに千変万化して、さまざまな色彩として差し込んでくるような不思議な傑作群だ。

ヴァイオリンとピアノのための「神話」(Myths, op.30)、
1.「アレトゥーサの泉」 2.「ナルキッソス」 3.「ドリュアデスとパン」

「メトープ」(Metopy, op.29)  
1.「セイレーンの島」、 2.「カリュプソー」、 3.「ナウシカー」

「仮面劇」(Mask, op.34)
1.「シェヘラザーデ」 2.「道化のタントリス」 3.「ドン・ファンのセレナーデ」


声楽曲は、なんといってもシチリア島を舞台にしたオペラ「ロジェ王」だろうが、ピアノ伴奏歌曲にも「ハーフィズの愛の歌」(1911年)、「お伽の王女の歌」(1915年)、「気のふれたムエジンの歌」(1918年)といった作品群がある。この「ハーフィズ」は、ハンス・ベドゲ(マーラーの「大地の歌」の原詩者として知られる)が翻訳したイスラム中世の詩人ハーフィズの詩の、ポーランド語重訳による。第一集のピアノ伴奏6曲、第二集のオーケストラ伴奏5曲の計11曲の大きな作品集で、比較的演奏される機会も多い。そのうちの一曲を。


Pieśni miłosne Hafiza, no. 2.
「ハーフィズの愛の歌」作品24 より

第二曲「踊り」♪

Wszystkie dziś tańczą, taniec płynie w krąg!
みんなが今日は踊っている、揺れる輪になって
Boski to pląs! Boski, boski to pląs!
聖なる踊り、聖なる踊り!
Wiodą pląsy w pończoszkach,
先導の踊り手はストッキングをはいて、
Idą w sandałkach w tan, lub nago!
踊り手はサンダルをつけて、あるいは素足で!
Cześć! cześć, wam nago tańczące cześć!
栄えあれ、栄えあれ、裸足で踊るものに!
Pięknoscią zuchwałe!
一番美しく、誇り高い踊り手よ。
Wszystkie dziś tańczą, taniec płynie w krąg!
みんなが今日は踊っている、揺れる輪になって
Boski to pląs! Boski to pląs!
聖なる踊り、聖なる踊りを!

*nago (=naked) は既訳では「裸体」と訳しているが、「裸足」と解した。不自然だろうか?

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シマノフスキの歌曲について,

カロル・シマノフスキ(1882-1937)
03 /19 2010
シマノフスキの歌曲について、CD4枚の歌曲全集と一冊の参考文献(「シマノフスキ 人と作品」日本シマノフスキ協会編)、それに一冊のポーランド語=英語辞典を頼りに読んでいる。全体像を俯瞰するために対訳全集を作りたいとも思うが、ロシア語やポーランド民謡も入るので難しい。しかし、この計134曲もの未知の森は、ほんとうに様々な光を放っていて、ちょっと味わったことのない20世紀の歌曲の世界だ。

どうやって紹介すればいいのか、考えあぐねている。楽譜はまだ手元に無いし、音源はごく限られている。まずYoutubeにある曲から載せてみよう。最高傑作と思う曲はまだアップされていないが...

シマノフスキ後期の声楽作品

カロル・シマノフスキ(1882-1937)
03 /17 2010
やがて若きシマノフスキは作品13、17でデーメルの詩をまとめて取り上げた。その詩で描かれた神秘体験は、シマノフスキに大きな転機をもたらしたと思われる。シェーンベルクによるデーメル詩への付曲(「浄められた夜」、1899年)から8年後のことであった。

...以上書いてきたのは、シマノフスキの作曲活動のほんの始まりにすぎない。この後彼はポーランド国外でも広く活躍し、ギリシャ神話に取材したヴァイオリン曲「神話」op.30、ピアノ曲「メトープ」op.29、「マスク」op.34、三曲のピアノソナタ、四曲の交響曲、オペラ「ロジェ王」op.46、宗教曲「スターバト・マーテル」op.53といった傑作を次々に発表する。

これらの歌曲は、初期の一挿話だ。しかし作曲家からの手紙を読むように、これらの曲を聴いているうちに、彼の生涯の一部を追体験しているような感覚に襲われてきた。

後期の声楽作品を聴きながら、シマノフスキの歌が喚起する自然の情景-広大な野原にかかる霧、彼方から聞こえてくる物音。そして夜の神秘と、朝の野に広がる太陽の輝き-に思いを馳せている。明け方の空、色彩の変化をひとつひとつ和音に写しているような、思いがけないようで、大きな不思議の調和のなかにつつまれている響き。

きわめて限られた音源でしか聴くことができない、ポーランド語による歌曲。しかしこれらシマノフスキ後期の歌曲は、間違いなく20世紀の歌曲集の最高峰のひとつだと思う。

「お伽の王女の歌」Pieśni księżniczki z baśni op.31
「スウォピエフニェ」 Slopiewnie op.46 bis
「三つの子守唄」Trzy kołysanki op.48

等々


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シマノフスキ 「4つの歌曲」♪

カロル・シマノフスキ(1882-1937)
03 /13 2010
「4つの歌曲」op.11
歌詞 タデウス・ミチンスキ
作曲 カロル・シマノフスキ(1904年、22歳)

第3曲「私の頭上を」♪

Nade mną leci w szafir morza
私の頭上を飛び、サファイア(の海)に沈む
oblok, pojony mlekiem gór –
雲は、乳色の山から流れてきた-
nade mną śpiewa ptaków chór –
私の頭上を飛ぶ、鳥たちの合唱と-
motyl, kochanek lilij łoża...
蝶々、百合の床の思い人よ。

A ja pod mrokiem łzy-kamienia
そして私は、暗い石の雫の下で
sączę swój ciemny jad, -
黒い毒を飲み干す‐
lecz śmiać się bębę z przerażenia
そして笑ってやろう、驚くことに
tego, kto zerwie kwiat.
花を摘みに来る者が。


この詩は前置詞nad-podのコントラストで、前半で視線は頭上に向けられ、後半で地を見下ろす。前半の羽ばたくような楽想は、暗い色調に沈む。その対比は印象的だ。しかしこうした詩を読んでいると、彼の歌曲は、絶対にポーランドの詩を一旦離れる必要があったと思う。次の作品13、17でシマノフスキはドイツの詩人デーメルらの詩に付曲し、やがて作品24(1911年)では「ペルシャの詩人ハーフィズの詩のハンス・ベドケによるドイツ語訳」のポーランド語訳という、シェーンベルクやマーラーを思わせる素材を取り上げている。「ポーランドの作曲家」という枠に納まらない彼の軌跡は、多様に変化して実に興味深く、もっとさまざまな作品を実演で聴いてみたい。

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ISATT

愛好する歌曲・カンタータの試訳集です。

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